「主要部分でなければ公文書を改竄しても構わない」なんてことはない。

「主要部分でなければ公文書を改竄しても構わない」と、森本問題での「公文書改ざん」に対しての現在の国の見解である。
これについて、少し考えてみたいと思うが、そもそも「公文書」とは何なのか?

・公務員がその職務上作成した文書。
・国または地方公共団体の機関,あるいは公務員がその職務上作成した文書。公文書でないものを私文書というが,そのいずれであるかにより,訴訟上で証拠とする場合の成立の真正の推定や,偽造の場合の刑の軽重などの点で違いが生ずる。

要するに「公務員」が「業務」を遂行する上での「正式」な「文書」であると言うことだ。
で、次に「公務員」とは一体何なのかと言うと。

公務員(こうむいん、英: public servant, civil servant)は、国および地方自治体、国際機関等の公務(en:public service)を執行する人のこと。

要するに「公務」を行う人と言うことで、じゃあ「公務」と言えば

・おおやけの仕事。国家や公共団体の仕事。

有体に言えば、国民が税金を支払って「公務」を代行してもらっている職業=「公務員」であると言うこと。
で、その「公務」でやり取りした「公式」な「文章記録」としてあるのが「公文書」であると言うこと。
要するに国民の税金で、このような「経緯」で「公務」を遂行しましたよと言う「記録」のようなもの。
ITのソフトウェアで言うところの「仕様」とか「成果物」とかそんな感じのものと言えばよいのか?

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で冒頭の話に戻ると「公文書」は「主要部分でなければ公文書を改竄しても構わない」ものなのか?と言えば、勝手に「上書き」をすることは「駄目」なんじゃないのか?と思う。
理由は簡単で、書き換え前の情報を「無かった」ことにして、後から上書きできればそれが「公務内容」となってしまうわけで、それをころころと「都合のよいように」変更可能ならば、何時何所で誰が変更したとかの記載が無いものを「公の文章」とは出来ないだろう。特に今回のような「問題」が起きたときには、そもそも「前段」から「情報が無い」とか言ってきて、あったらあったで「上書きしてました」ってなっているわけで、その「公文書」の価値は「ゼロ」になる。すなわち「信用できないもの」と化す。
あと「主要部分」とは何かと言えば、それは「様々な解釈」でどうにでもなる。
たとえば

近畿財務局が、森友学園に土地を○月○日に1億3400万円で売却した

これが「主要部分」であると言えば、事実として「何時何所で誰と何をした」これが「主要部分」なわけだから、それ以外、つまり「詳細」については「幾らでも書き換えてよい」と言うことを意味する。
そんな情報は「公文書」ではなく単なる「概要」であり、本来の「公文書」の趣旨とすればその経緯詳細があって、それを後に他の人が読めば大よその内容が理解できるものである必要があるものであろう。
なので「公文書は上書き修正しても無問題キリッ」と言うのは、適当でない言葉だし、それならばそもそも「公文書」は必要ないだろう。単なる「日報」で良いんじゃないのか。

今日○月○日:晴れのち曇り、森友学園に土地を○月○日に1億3400万円で売却した

夏休みの日記だな。絵日記でもついでに書けばよいw
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そもそも「公文書」を書き換えるならば正しい手順を踏まえるべきだ。「改版履歴」書き換えた履歴と日付と書き換え元を保持しておいて、書き換えればよいだけ。そんな「書き換え」ならば、問題は無いだろうし、普通一般的な公な資料とは、そのように運用しているはずだ。
それか「訂正印」なるもので「ここは訂正した」として、追記したりするわけで、この辺のことって社会人になれば、公務関連の書類でミスをすると、書き直しではなく訂正印で対応したりするわけで「公文書の訂正」をするならば、単にそれと同じにすれば良いだけのことだと思うのだが・・・・。
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まあ、今回の「公文書の上書き」はないだろうと思うし、それを国側がどやって「主要部分でなければ公文書を改竄しても構わない」なんて言っても、それを決めるのは国民なんだし、そしてそんな「上書きされた公文書」は「信用なし」だから。
そしてそのような「信用なし」な「公務」は「国民」にとっての「対価」としては「ゼロ」ですから、仕事していないわけだから、税金から「給与」を貰う価値もないので、「主要部分でなければ公文書を改竄しても構わない」と開き直るのならば「無給」で仕事をしてほしいと思う今日この頃。